人生で初めて父娘2人旅をしてきた

 

母と2人ならいいが、父と2人なんていかがかね?と思いながらも

親孝行の気持ちで旅立った

 

 

血は水より濃い という言葉はあまりに残酷に感じて好まないけど

あぁやっぱり親子なんだなと感じた。

 

 

父が窓際で何かを真剣に読んでいる姿をみて、

この横顔をずっと見てきたなと考えていた

白髪が交じり、老眼鏡が加わり、少し垂れた優しい目になった

それ以外は何も変わっていない。この横顔をずっとみてきた、と

 

 

2人向かい合ってお酒をのみながら、夕食の時間に

父としての父ではなく、1人の男性としての顔を少しだけ想像したりもした

 

 

血は繋がっている。

そして親子の時間は意外に少ない

父の目に映る娘はどう見えているのだろうか

 

 

移動中、陽気に歌を口ずさむ自分に気づいて

父と2人でいると、自分はいつでも小学生に戻れるものだと驚いた

 

人生みんな色々あるけど、時の流れは暖かい

見えるものが全てだと思われたくない

 

 

父が寝たあと、読んでいた本が丁度読みおわった

“人間の欠点は、欠点の消滅により美徳が生まれるのではなく

その人のちょっとした心の作動で、欠点が美徳に変わるのだ“

 

“自分はこの人の枝分かれで、分裂した川が結局同じ所へ流れるように

この人の元に戻っていく“

 

 

そうそう、帰りの飛行機を待っているときのこと

家族からの猛圧力により、禁煙して3年ほど経つ父

たまたま、喫煙室からでてくる父の後姿を見つけてしまった

男の嘘ってほんと詰め甘いんだよな~!

何歳になってもこんなもんなんだなと思って笑えた、特別に見なかったことにしてあげてる

 

 

「親ガチャ」という言葉に賛否両論ある

そして私はこの言葉に否定的ではない。そう感じるケースだってあるだろう

 

非常に恵まれた親から枝分かれしたと思う

そう存在してくれた親に心から感謝している

 

 

いい旅だった~

推しオジ

最近、推してるオジさんがいる

応援したいオジさんが現れた

 

 

ここ最近、毎朝選挙演説をしているオジさん(私の地区では女性の演説を見たことがないから)

が配っているチラシをもらい、読んでみている。

 

 

こちらに関心をもったことがなく、チラシを見るのも初めて。

そんな私が物申すのはおかしなことだとは承知の上、

正直、う~~~ん と感じるものばかりだった。

 

 

そんな中、初めてチラシをわくわく読めたオジさんに出会う

三宅まことさん。

至極具体的で、一貫性がある。分かりやすい、わくわくさえする

最近駅前が明るくなったと思ったのだけど、この人がそうしてくれたんだ~

 

 

自分たちの街を、社会をつくっていくことに関心を向けたら

みえる世界が変わった。

こうしたい!と思う人が行動することで、政治が動く

政治が動くと、今度は法律を動かす、

そこから少しの灯りがつきはじめ、街を照らし、人を集める

人が集まれば、そこで商売がはじまる

 

 

人間はいたってシンプルだ。

政治とか自治体活動とか、ワードだけで難しそうに聞こえるけど

少しの灯りで変わることがある

 

 

社会との繋がりを感じて、自分もその一部だと感じることは

人間が生きていくに必要不可欠なことだと常々感じる

 

 

自分のためだけに生きるには限界があるから、なにかに貢献して生きていく

もちつ、もたれつ、結局は個人の幸福のために

人はもっともっとシンプルなんだ

 

 

ぼやぼやとこんなことを考えていると

人間は結局同じだというところにたどりつく

 

叩かれたら腹を立てるし、嫌なことがあれば泣く、嬉しいことがあれば笑う

好きな人と一緒にいたいと思う

 

 

寒い朝に立っている三宅さんに会うと、心の中で応援してます~~という気持ちで挨拶する

大人になった気分である

砂漠ダンシング

渡辺直美がインスタで、海外旅行の様子をアップしていた

青山テルマとかとアラブ旅をしていて、

ホテルの部屋で踊りまくっている様子や、

砂漠ドライブしながら、車中では現地の音楽に合わせて叫び歌っている様子

見ていたら砂漠に行ってみたくなったし、私も踊り狂って歌いたいと思った。

 

 

ここまでフリーダムな人が楽しんでいる姿をみると、新鮮で見ていて気持ちがいい

なんでだろう?と考えると、自分の職場にはいないと思うから

同じ空の下、同じ日本で全く違う方法でお金を稼いでいるのは、とても不思議に思う

 

 

 

(あり得ない妄想だけど)渡辺直美がうちの会社にいたら

すごく面白いのか?と考えたら、彼女の魅力は発揮されないと思う(勝手に)

だから、知ってか知らないでかはさておき

自分の魅力が最大限に発揮される環境に自分の身を置くことができる人は

すごく少ないと沁沁と考える。

自分の才能に気づける人はほんのわずかである、と同じようなもの

 

 

この話を友人にしたら、安住さんのラジオでの話をしてくれた

「大きな声では言えないけどね、最近は優しくされた人にだけ

優しくしていくのでもいいんじゃないかと思うんです」って

 

前後の流れがあっての話なので、ここだけ切り取ると誤解を生むかもしれないけど

たしかに、私が感じた渡辺直美のはなしと広く同じことを意味している気がした

 

私には、咲く場所を知っている人は美しく魅力的に映る。

 

 

人は弱いから、甘美な言葉に甘えたくなるし

生きやすい環境に身を置きたいと思う、不安なことはなるべく無くしたいと思う

 

だから、それでいいんだと思う。

無理に自分の苦手なことに挑戦しなくてもいいじゃないかと思う。

 

 

砂漠ドライブをTODOリストに追加

分類するとかしないとか

年末の歌番組で何度も流れていて、とても耳に残った「habit」という歌

メロディーだけはSNSで耳にしていたけど、歌詞に意識を向けたのは初めてで

“何でもかんでも分類したがる”みたいなフレーズが繰り返され、耳に残った。

 

自分でも「よく分からない」という事象が心を不安定にさせて

分類することで気持ちが落ち着くことがあるなぁと考える

 

 

先日の勉強会のはなしでも

社会問題をどう「フレーミング」していくか?

そしてそれにどうタイトルを付けるか?という問題について考えていた

 

 

例えば、日本における出生率低下が問題視されたとする。

これを「出生数の低下により未来の担い手がいなくなっている」ことに分類するか

「高齢者が増えることによる諸問題」とするのか

が「フレーミング」の行為になる。

(ある人が言っていたけど、フレーミングの正式な日本語訳はないという。枠組み、も少しニュアンスが違うらしい。はてな

 

その後に、このフレーミングされたことにタイトル付けをしていく。

これってとても重要で、

今回でいうと「少子化問題」にするのか「高齢化問題」にするのか、で大きく対策は異なってしまうし

どちらにせよ対策はかなり限定的になる。

それに比べ、海外では例えば「家族問題」とか言われているらしく、

フレームはぐっと広がると感じられる。

 

 

いま私の仕事はこういった公共政策問題に対する政策案を、国会はじめ国へ要望をしていくことなのだけど、

その見せ方ってとても重要なんだ。と。

 

ジャケ買い、パケ買い、があるように、名前を付けるってとても重要で

印象操作できてしまうし、伝わり方もかわってしまう。

 

そしてこれって何においても言えることだよなぁと思う

、、、このセリフ最近連呼してる気がする…新しい言葉みつけたい

目の前の問題がおきたとき、どうフレーミングするのだろうか?とぼやぼや考える

 

 

話を歌に戻すと、最近の歌は昔と比べると直接的だけど難しいことをいっていると感じる。

メロディーがキャッチーでポップに聴けるけど

ラブレボリューションとかではじけ踊っていた時代を思うと、日本が元気だったなぁとか回顧する

歌と日本経済は密接しているから、80年代の音楽は背景含めて夢があると感じる

 

うん、最近の歌の情報が沢山入ってくる年末は楽しかった!良い年末だったな2022年

落語の世界、想像する世界

先日、人生で初めて落語をきいてきた。

 

 

いつも素敵な言葉をくれる先輩が、ワインを飲みながら落語を聴くことが毎晩のルーティーンだと言っていたから

落語に興味をもったのがきっかけ。影響されやすい

 

 

新宿の廣末亭へ。

西新宿で働いていた時代によく飲んでいた通りを抜けたところにあった

絶対にとおっていたはずだけど、気にも留めたことなかったなぁ

狭い箱の中に入る。なんだか違和感ある空間で

天井も低く、おもちゃ箱みたいに見えた。

 

 

噺家さんの粋な言葉遣いが心に染みる。

脳みその、いつも使わない部分を駆使してじわじわ笑う感じが新鮮でいい

想像して笑う感覚がラジオに近いと感じる

疲れるけど、頭をつかって笑うのは好きだから、楽しい時間であった

 

 

「タイパ」という言葉が蔓延るいま、じっくり想像する時間が減っている。

想像が持つ力は無限なのに

想像力が乏しいから相手への共感性は低くなって、

相手の気持ちを推し量ることが難しい。これは自分に対して言っている

 

 

 

共感性の低さといえば

先日の勉強会で過去の法改正について話題になった。

少年法の年齢が改正されたきっかけである、シリアルキラーのある事件の話。

その事件すら知らなかった自分には衝撃的な内容で、少し調べてみたが…気が狂いそうになった。

理屈ではない、理解できない人種が存在することだけでも知っておくべきだと胸に刻む。

 

なにが言いたいって、シリアルキラーの大きな特性として「共感性の低さ」があるそうだ。

相手への共感性心理が大幅に欠如していることは、シリアルキラーの共通項らしい。

 

殺人は過度な事例だけど、想像力と共感性の低下の一因はタイパ文化にあり

心が乏しくなっているのではないか?と思う。

それゆえに起きている社会問題も絶対にあるし、個人の問題でもそう。

 

本当の豊かさと、美しさが、見失われているのではないかなぁ。

(ふんぞり返って言っているのと違う、自分にも強く言っている)

 

音だけを聴いて、それぞれが想像して笑ったり

音楽のイントロ部分でその余韻を感じたり

想像して豊かになる世界があることを忘れないように

見やすいものだけに心を置かずに、心と頭の筋トレを強化していきたい

 

心も頭も筋肉ムキムキな女性になりたいから、色々なことに挑戦しよう2023年

公共政策学

 

今、会社の面白い勉強会に参加している。

 

やることは輪読で、仕事にまつわる指定の本を少しずつ担当者の輪番で要約・報告して、

分からないところなどを質問し合うもの。

大学のゼミでもこんなにちゃんと勉強したことないよ…と思いながら、

仕事の知見を広げるためにも興味本位で参加してみることにした。

 

第1回目のテーマは「公共政策学」、、、読めど読めど、難しすぎる、、、

早速、参加したことを後悔した

解読だけでも難易度高すぎ、これをまとめて自分の意見を発表するなんてさ、むりむりむりむり

久々にテスト前徹夜して勉強してた学生時代を思い出す。あぁ。

変なところに首をつっこんでしまった、と思った。

 

 

勉強会当日

見識にあふれた人々に囲まれながら、勉強会ははじまった。

見当違いな発言をしては恥ずかしいけど、素直に意見を述べてみると

みんな真っすぐな目で頷きながら、傾聴してくれている。

なんだ、自意識だ、自意識が過剰すぎた。意外と発言してしまえばへっちゃらではないか。

私だけが持っている視点があるし、切り口はいくらでもあることを改めて感じる。

そうそう、物事は立体的であるのだよね

 

そんなこんなで、踏み入れたことのない世界に飛び込んだ結果、

とても有意義で貴重な時間を過ごすことができた。

 

 

今回のテーマはざっくり言うと、公共政策とはなにか?ということ

要するに、社会で解決すべき問題の解決の方向を考えていこう、ということなのだけど

問題を問題と「認識」することがファーストステップ、その次にその問題をどの角度から

解決しようか考える、そしてその解決策を考えていく、みたいなことを具体例やら事例やらを交えてじっくり考察していくというもの。

例えば、部屋が散らかっていても「問題」と認識されなければそもそも解決されないよね、(部屋なんてこんなもん、って思う人なら別に問題ではなくなる)

散らかっているから、さぁ今からどうしようか?と考え始める、みたいなこと。

 

色々新たな発見があったので、またつぶつぶ書いて残したいと思うけど、

1つ目の発見として、政治の話でありながら全ての物事に通ずるものだということ。

 

かなりざっくり言うと、起きている事象を「問題」として認識して、そこから分析していく。

問題認識ができるメタな視点をもち、自分を客観視する時間をもつことは、

見える世界が豊かになるのだろう感じた。

難しい話ではなく、対人関係においてもそうだな。

こうやって冷静に分解して考えられれば、いいなぁと思う。

 

 

いつも素敵な言葉がでてくる会社の偉い人がこんなことを言っていた

「自分の属する組織も自分自身も、世界との関わりの中にあることを忘れず、

たまには夜空を見上げて、自分がどの星にいるのかというような気宇壮大なことにも

思いを致しながらやっていこうではないか」

 

多分今回の私の発見も、勝手にそういうことだと認識してる。

 

 

長くなってしまったけど、私は今遅れた勉強時代に入ったのかもしれなくて

新しい分野で、新しいことを学んでいくことはとても楽しい。

学習できる唯一の動物、人間万歳

「あぁ、私もこんな年齢になったのか」

 

最近、あぁこんな年齢になったのか~と思うことが多い。

だけど多分、ここからこの台詞一生言い続けるんだろうな~と思う。

「あぁ、私もこんな年齢になったのか」

 

 

これ、ネガティブな意味ではないと信じ続けているけど

少しネガティブの要素もあるから、必死に打ち消している自分に気づく。

いやだな~ 

絶対に歳はとる。

だから単に「若さ」に価値をおいた考えは、私はしたくない。せっかく生きるんだし。100年生きるとか言われているしね。

 

だけど、どうしても最近あぁ、自分もこんな年齢か~と感じる場面

知っている人の死

将来を見据えた選択

優先順位の変化

多分もっとあるけど、こんな感じで。

他にも沢山書けない悩みがあるよね

 

 

先日、星野源がラジオで言っていたことに掬われた。

「昔悩んでいたことを乗り越えたから、今の悩みがあってね。

あぁ、年を重ねるって悩みがどんどん増えるじゃん、苦しいなって思う人は

無意識のうちにみんな乗り越えている証拠なんだと思う。」

うん、たしかにたしかに。納得できる。

 

生きてると、悩むことも多いしそれは決して楽しい時間ではないけど

壁にぶつかる度、こうやって人は人に掬われるのだと感じた。

 

星野源だけではなく、

周りにいてくれる皆に、助けられていて

悩むたびにその人の新しい素敵な部分がみえて、

今度はいつか自分がその人の力になりたいと思うサイクル。

素敵すぎるサイクル。これが人生なんだ。

 

生きてれば色々あるけどね、

劇のない人生に真の幸せはないと信じてる。

 

あぁ、私もこんな年齢になったか

も悪くない。と、信じて!