聖子ちゃんと松本隆と宮本輝

詩人であり作詞家の松本隆が大好きだ。

きっかけは松田聖子ちゃんからで、聖子ちゃんの歌詞が好きなことに気が付き

そのほとんどを手掛けた作詞家・松本隆を知る。

 

 

そこから松田聖子松本隆熱は冷めず、

なかでも特に好きな「蒼いフォトグラフ」が主題歌にされた

青が散る」というドラマがあったことを知り

そのドラマの原作を手掛けたのが宮本輝だった。

聖子ちゃんの歌の世界観がどう描かれているのか気になり

青が散る」を読み、言葉にできないその素晴らしさに、衝撃を受けた。

そこから、宮本輝を好きになり、読み漁りまくり、今に至る。

 

好きが導き、新しい好きを見つけた

ありがたいサイクル

 

 

今までの人生で、特定のアイドルや俳優

周りの人以外の何かに夢中になったことがなく

所謂「オタク」たる部分を持ち合わせぬまま大きくなった。

無趣味な親から生まれたしな、とか思っていた。

(人のせいにすな)

 

 

これについて、学生時代は「執着しない」という点で誇らしくもあったが(しょーもない)

社会人になって大きな大きなコンプレックスに変化した。

 

 

何か夢中になれる別の世界がない自分は

親がいなくなったら

友達がいなくなったら

何かあったときに、心の支えたる、

自分だけの空間がないことに気が付いたから。

 

とにかく人が大好きなので、人に支えられて生きるのもいいけど

それだけでは何か欠落している気がした。

他者を介在させない、内から生み出すエネルギーで

自分を支えたいと強く思った。だから努力しようと決めた。

 

 

それから自分は

陶芸をやってみたり、お花を習おうとしたり

絵を描いてみたり、書道をやろうとか、ダンスしようとか

もしかしたら、転職活動もその一つだったかもしれない。

 

とにかく必死に、色々試してみたけど何一つひっかからない。

今振り返ると全ての順番が逆で

欲しい結果を簡単に手に入れようとするあまり、

「これをやっている自分」を自分で眺めて満足していたと思う。

だから本質的に満たしたい部分は空のまま

 

 

なので私が言いたいことは

今、本当に幸せいっぱいであるということ。

見返りを求めず声を大にして好きといえる、その対象の存在はこんなにも尊いのか

と思うわけです。

何かに熱中していた皆さんはこんな幸せだったのね。

今になって思う、羨ましいです。

 

 

 

好きなものを必死に模索して迷走していたときも、

今、陶酔して、感動して、涙する世界ができたことも

宮本輝の言葉をお借りすると、

“外的偶然により内的必然を観ずる”

という言葉につきる。

これは一種の宗教的概念らしいが、個人的にしっくり落ちる。

この人に(ものに)出逢って私は変わった!という言葉をたまに耳にするが

それも全て内的必然を自ずと「観じて」いるのではないか

 

 

 

 

長くなってしまったけど

とにかくこの想いをいつかここに残しておきたいと思って

やっと書けたし、書いてみて、また新たに気づくこともあり、驚いている。

私は文章を書くこともまた、好きらしい。

 

 

 

思慮深さは闇と化し、豊かさと色香を纏う

人生は巡回している

 

これは、誰の言葉でもなく

わたしが、松本隆宮本輝と出逢い、わいた感想。

 

今年になって、自分のめんどくさい部分が顔をだしている。

そして昔より、世の中を生きやすくなったと感じる。

そんな自分が少し好きである。

 

 

松本隆の娘さんは、私たちと同じ母校らしい。

松本隆の事務所は、学生時代のバイト先の隣だったらしい

聖子ちゃんのコンサートには、今年必ずいく

宮本輝との接点は、まだない!