お久しぶりに!

本当に久しぶりに思い出した。この日記の存在!

 

ここ最近の強烈に忘れたくないわたしの備忘録

 

 

全てを投げ出して飛んでいきたくなるような日々が続き

出口のないトンネルに1人でいるようだった

今まで気持ちの揺らぎが激しい人に対して抱いていた自分の姿勢に対して

すごく反省した。

改めて、分からない気持ちをないものとしてしまう大人には

なりたくないと強く思う

自分の知らないところで誰かを傷つけて、離れていってしまう人が、

沢山いたのだろう

 

あとは、私はないものねだりすぎることに気づく

今まで望んでいたものや環境も、手に入ってしまうと前のそれが良かったと思う。

人間みんなそうだろうけど、実感することが多すぎた

不満に思うことがあったら、未来の自分がほしいものなんだよ~

と可能な限り自分に言ってあげだい

 

あとは、恋は見えなくなるものだということ。今さら?

どきどきしてないと退屈してしまう性分らしく、どうしたものかとかなり悩んだ

この数年。

そんなときにラジオから聞こえてきたこと

恋のどきどきは残念ながらいつまでも続かなくて、

心の中からは消えて見えなくなってしまうらしい。悲しい~~

だけど、そばにいて、一緒にいることが何よりの事実。あの時の恋心を、たまに思い出してねってことが

胸の中にあるもの、いつか見えなくなるもの、それはそばにいること

いつも思い出して~♪ 恋

ということらしい。

やっぱり星野源が教えてくれた。つらい時の星野源。心のボス。最高

 

 

そして、辛くて苦しいときに感じたのは、苦しみを砕いて飲み込むのは最終的には自分だけど

その過程を、調理してくれるのは周りの人だと思った

解決されるわけではないけど、飲み込み方を変えてくれる

家族も友達も恋人も本当に大切な存在

 

 

あとは、女性は、お金をかけたらある程度魅力的にうつることは

可能になるだろうけど(持論)

男性はお金を生み出すということに、魅力を感じる人が多いのではないかと

女性はお金をかける人(結局着飾っていれば良しと見なされがち?)、

対いて、男性はお金を生み出せる人

な~ぜ~

ここ何年も言っていること、来世は絶対男に生まれ変わりたい

 

 

好きなタイプと好きになるタイプが違うこと問題に対する是非について。

蓮見さんが好きだけど、蓮見さんとは付き合えない(頼まれてもない)

言葉や文字を操る人が好きということが、最近の自己分析でようやく見えてきた

小説家、作詞家、脚本家

、、、つまり。人間って複雑だ

 

智に働けば角が立つ、情に棹させば流される

本当にそう。昔の人って天才

 

 

最後に、何より今は、生活が楽しい。

松本隆がラジオをはじめてくれた。しかもすごく楽しそう

毎週松本隆に会える幸せよ。文明の利器に感謝~

推しのいる幸せ!

桃色

先日、大切で特別な親友の結婚式だった

 

変な話だけど、どのタイミングからこんなにも大切な存在になっていた

のだろうと考えた。

学校を離れると、何も考えずに顔を合わせられた時と違い

人と会うには理由が必要になる。

毎回何か理由をつけて卒業後会い続けてきた結果が今に繋がっている

と以外言いようがない

ただそれだけ、と聞こえるかもしれないけど

瞬間の積み重ねが人との関係をつくるのだと改めて思った。

 

その時に一緒にいたい人、会いたい人、大切にしたい人という気持ちの積み重ね

無限の可能性をもつこの危うさが不思議で儚いと思う

 

心から幸せを願い、何があっても絶対に味方でいたいと思う友人がいる自分を誇りにも思う。

出会いが財産です。本当にありがとう。多分これ読んでないだろうけど

 

 

頻繁に会うことはないけど大好きなみんなに久々に会えた

そういえば本当に性格も考え方も違うなとしみじみ感じる

社会人になるとその違いは更に色濃く生き方に反映されていて

だけど、会ってない時間がなかったかのように一瞬の雪解けとなるから不思議

 

みんなを見ていると、それぞれの素敵なところ、好きなところを

すぐ言葉にできる自分に気づいた

それぞれ違う道を生きる人たちだけど

きっと根底にある命の器的ななにかが同じなのだろうと勝手に思う

思い返す青春の映像が一緒ってなんか嬉しい

 

大きくなりましたね~

星野源

星野源に会うため、サマソニへ初参加してきた

 

星野源の詩とリズムが、たまらなく、とっても好き

もちろん、星野源もとても好き

生で聴く星野源は、格別に最高だったーーーー!!

星野源の言葉を借りると、

音と肌が混ざり合って、自意識を超える瞬間のアメーバ状態

を肌で感じた、まさに!

 

 

楽しい時も闇に埋もれる感情を置き去りにせず

ちゃんと一緒に添えてくれるところが好き

喉から手がでるほど羨ましかった、

普通に憧れたあの蓋をした暗い記憶の中にある自分を優しく抱えてくれる

そんな詩が好き

 

孤独を知るから人はあたたかいし、優しい

孤独を謳うけど、何も諦めていないところがすき

自分で場所をつくって生きていくんだ

 

 

好きすぎてなんて書けばいいのか難しいけど、残しておきたい

 

幸せ、幸せ

今年は必ず星野源のライブにもいく!

君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか、をみてきた

 

生の世界、死の世界のみならず、いくつか世界が描かれていて

どの世界も独特で掴みどころなく、意味を考えるときりがない

これは難しいと捉えることもできる

 

単純にストーリーの結末が気になるので飽きずに追いかけてしまう

だけど、重要なのはその先にあると感じた。

 

自分の体験と感想と融合させて初めて作品が完成される

詳細な描写からひも解くのとは別で、

作品後に残るふんわりとした残像の世界から何を感じるか、

うまく言い表せないけど、作品は「観る」だけでは完成しないと知る

 

観て、感じて、自分の体験と融合させたところに作品は存在して

人の心を通じて時代を超えて受け継がれていくのだろう

 

 

作中の謎めいた世界で、根底に流れるものが愛であることにより

突然の人間味とあたたかさを感じ異常に心つかまれる。

生きるのことは自分のためだけど、

死なぬよう努めるのは他人のためだと思う

 

 

愛は「するもの」ではなく存在するものではないか、と星野源が言っていたことが

とてもしっくりきている。

愛することについて、そこまで深く考えたこともなかったけど

愛しているという言葉はどこか遠く自分とはまだ無縁だと感じて

だけどきっと、観て、感じて、自分の体験と融合させることで作品が存在するように

愛も、くだらないなにかの間に存在しているものと思うと安心して、楽になった。

 

そして、この作品は愛の物語だと私は受け取った。

 

 

多様性が叫ばれ選択肢が異常に増える中、どう生きていくのか考えることは酷だと

どれを、何を選択するのか?

「己を学ぶものは死す」のメッセージにあるとおり、

自分を知ることは辛く難しすぎる

生きる選択をすることは、自己と向き合いながら生きていくことなのかな

ひっくるめて、君たちはどういきるのか?

大きな問いを投げかけられた、そんな作品だった

 

 

80歳になっても作品を世に残す、創造者への尊敬の意を込めて

また素敵な作品に生で触れられることが幸せだ

聖子ちゃんラブ

 

 

大切すぎて書けないでいた

聖子ちゃんのコンサート

 

 

そういえば会社の先輩に、

「井村さんは本音を最後に言う」

と言われたことを思い出した。

多分これあまりいい意味ではないと思っていて

今更?というタイミングで意見を吐き出すところがあるのだと思う

そういえば泣くのもそう、我慢して我慢して、最後にうわっと泣く

と、これは母に言われた

わたしは心の根っこ部分をあたためてしまう癖があるのかもしれないな

自分では原因は何となくわかっているところ

 

 

ということで聖子ちゃんもあたためてあたためて

ようやくしっかり書こうと思う

 

 

ミニスカートで歌って踊る、60歳すぎの聖子ちゃんをみていて

溢れる強靭な精神と人の強さに圧倒された

想像の世界のはなしだけど、ずっと人前に出続ける皆さんの

努力や精神状態をたまに勝手に想像してしまう(わたしの妄想の世界)

アイドル一筋でここまで生きている、大変なご不幸がありながら

人生の様々な局面をむかえながら、ずっと出続けている

「かわいい」とかそんな言葉では片づけられないこの強さ

しかも「可憐でかわいいかわいい聖子ちゃん」をしっかり装う女のあざとさも

忘れない

すごい、すごすぎる

わたしも、女として、あざとく生きていきたい

 

 

だけどやっぱり、何が好きかって

松本隆の詩がすきだ~

この世界を裏でつくりあげた松本隆を思うとまた感傷的になる

聖子ちゃんの声と、隆の詩、豪華楽曲提供者たちがつくり上げた

アイドル歌謡曲の時代

王道人気は当たり前で、王道から外れたファンをつけようと努力した

その世界をつくろうとしていた豪華メンバーの背景が

色を帯びて時代を超え、聖子ちゃんを通じてこちらに届く、この冷めない熱

 

だからわたしは80年代のアイドル歌謡曲の世界が好き!

たまらなく好き!

長い贅沢なイントロとアウトロに、

戦後から急成長している途中で、音楽で日本を、何かを

変えようと掴もうとしているパワーを感じる、

そしてそこから人間としての余裕と豊かさが垣間みえる

そこが好き!たまらなく好き!

 

 

そんな感じで幸せすぎる時間と空間を堪能できて

好きで良かった。幸せだった。幸せをかみしめる。

 

いつまでも健康でいてほしい!

冬はディナーショーへいく!

達郎さん

山下達郎さんのライブにいってきた。

何に感動して、何がそんなに好きなのかな?

そもそもわたしなんでこんなに好きなんだろう

 

 

考えながらきいてみて、

音楽と歌詞とメロディーと声に、完全に陶酔できるところが好きなんだ

聞いていて小説的な要素がある、想像してぐっと心が苦しくなる感じ

 

考えてみると、私は小説的な音楽や詩が好きなんだということに気が付く。

松本隆もおなじ。

 

 

達郎さんが自分の曲を「幻想の世界」と言っていて

例えば、彼の描く夏の歌は

それぞれが抱く夏のイメージ、それは多分若いころにつくられたもので

じじばば含む人々(達郎の言葉を引用)がいまみている夏、との間を描いた

幻想の世界を歌にするのだという

そしてこの幻想の世界が自分の音楽なのだと

 

わたしが感じる「小説的」と感じる要素はここからきているんだと思った

 

 

死ぬまでやってやる、と言っていたけど

本当に死んでほしくないと思う

自分の好きな人達が中期高齢者ばかりなので、心から彼らの健康を祈る日々

 

 

達郎さんのくぐもった声は、近くで聴いても、どんな音量でも

遠く遠くきこえる、遠い幻想の世界がそこにある

 

 

70歳になっても幻に憧れながら歌詞をかく人がいて

その歌に魅了されるじじばばがこんなにも沢山いらっしゃると思うと

ばばになる未来もまた、悪くないなと思えた

音楽ってすばらしい、幸せだ

最近おもうこと

仕事が少し落ち着いてきたので、久々に最近の出来事を

 

聖子ちゃんのライブに参加。

感涙感動感激、好きでよかった、好きになってよかった、好きの素晴らしさを感じた日。

聖子ちゃんのことは改めて大切に気持ちを残しておきたいと思う。

 

先日は山下達郎のライブにいき、9月には松本隆トークショーに行けることに。

今年の目標として日記に書いていたことを着々と実現できてとても嬉しい

 

 

 

昨日読んだ記事

「無駄をつくりたい」という想いのもと会社を立ち上げた女性の話で

費用対効果を考えると一般的には商品化しないようなものを作り続ける会社。

その人が言っていたこと

―無駄をそぎ落としていくと必要なものが見えてくる、と言われるけどそうではなく

無駄を増やすことで自分が大切にしたいものが見えてくると思う。

だから積極的に無駄なことをしていきたい―

と。

これをわたしは、「無駄をそぎ落とす」ということは既に自分がもっているものの中から

幸せと必要なものと見つけるということであって

自分の中にないものには出会えない、という解釈をした。

だからこの無駄を増やしていく先に大切にしたいものが見えてくる、という考え方は

とても豊かだと感じた。

たしかに、新しいを知る中で内在しているものを観することに繋がるということが、よくある。

 

最近私の中では

シンプルが一番、必要のないことは切り捨てる、の傾向があったので

無駄を増やして新たな気持ちや空気を知り、その中で

自分自身と向き合うという時間は必要だと感じた。

器はでかい方がいい、沢山の器を知っている人でありたい

 

 

あと話はがらりと変わるけど、つぶやき

女性は環境が変わるごとに周辺が淘汰されるものだと思う、そういう生き物だと

これは仕方ないと思いつつ寂しくもある。

大人になり(大人とは?)、選択肢が増える中でどこにプライオリティ―を置くか

それぞれ異なる

ただ、心がざらつくことはそろそろ積極的に避けて生きてもいいかな、と

最近思えることが大人になったと感じる

 

大切なものを主張することは大事だけど、堂々と生きながら品よく存在したい

歳を重ねるごとに恥じらいの気持ちの尊さを痛感している

恥じらいを大切にして生きていきたいと思う!備忘録

 

 

では~~